■「侵略されても、戦わずに占領を受け入れる」というご意見 ←いや、逆に戦争になっちゃうから

「もしどこかの国が攻めてきても、戦うべきではない。武力を行使するべきではない」
「もし日本がどこかの国に侵略されたとしても、戦うくらいなら占領を受け入れる」

このようなご意見をちょくちょく耳にします。
なんらかの政治的意図を持って敢えてこういう発言をするならいいんですが(良くないですが)、「反戦のために」「平和のために」本気でこう考えている方がまだたまにいらっしゃいます。

これまでもいろんなところで何度か書いてることですが、今回は改めてこのご意見について。

「なにをされても戦わない」。
これ、一見とてもカッコ良いです。
非暴力っぽくて、とてもカッコ良く見えます。
反戦、平和に直結してそうな気がします。

でもこれ、逆効果なんです。
非暴力どころか、“自国”が暴力的になってしまいます。
さらには反戦どころか、新たな戦争を起こしてしまうことにもなってしまいます。

もし、どこかの国が日本を侵略しようとしたら。
―仮に、日本を侵略しようとする国を「X国」とします。

X国が日本を侵略しようと、X国軍が日本に武力攻撃をしたら、現状の法律では自衛隊が防衛出動をし、状況によっては武力行使をすることになります。
でも、もしここで「戦わない」を選んだ場合。

フツーに考えれば、「戦わない」を選んでも、X国軍による武力攻撃で日本人の生命や財産に大きな被害が出ると思いますが、ここでは大ラッキーなことに「日本人の生命や財産になんの被害もなく」、X国による日本の占領が完了したとします。
そしてさらに大ラッキーなことに、その後の「元・日本人」の生活にもなんの影響もなかったとします。
フツーに日本語がしゃべれて今までの学校やお仕事が続けられて、土地も追いやられることなく暮らせたとします。

それでも、ひとつ大きな変化があります。
それは、
【X国が占領した、「元・日本」であった私たち「元・日本人」が暮らす土地を、X国軍が防衛する】
ということです。

X国だって、せっかく占領が完了した土地をやすやすと手放したりしません。
やすやすと手放すくらいなら、そもそも占領しませんから。
X国がせっかく占領した「元・日本」の土地を、別のY国やZ国なんかが狙って攻めてきたら困りますから。
「元・日本の土地を元・日本人に返せ」と別のどこかの国や組織の軍が介入するかもしれませんし、日本を取り戻そうとする元・日本人によるクーデターも、X国にとっては心配でしょうし。
いや、元・日本人は「戦わない」ことを選んだんだから、クーデターの心配はないのかな?

まあ、とりあえず、X国はせっかく占領した「元・日本」であった私たち「元・日本人」が暮らす土地が、ちゃんと「X国による占領」の状態で保てるように、X国軍によって防衛します。

X国軍は、X国の法制によって運用されます。
憲法9条なんかありません。
というか、X国に占領されたら、日本と一緒に日本国憲法も消えてなくなってます。
集団的自衛権がどうのとか、駆け付け警護がどうのとか、それどころじゃない法制です。
他国を侵略することをOKとする法制なんですから。
「『自衛隊』を『軍』にするのしないの」という話題が度々紛糾しますが、問答無用でX国軍が“自国”の“軍”となります。

もしY国やZ国が、「元・日本」であった私たち「元・日本人」が暮らす土地を攻めてきたら、X国軍は容赦なくドンパチします。
「元・日本の土地を元・日本人に返せ」と、どこかの国や組織の軍が介入してきたときも、X国軍は容赦なくドンパチします。
日本を占領するために武力攻撃したくらいですから、容赦なく武力を使います。

それは、武力と武力による小競り合いなんてものではなく、大きな戦争に発展してしまうかもしれません。
反戦、平和のために「戦わない」はずだったのに、「元・日本」であった私たち「元・日本人」が暮らす土地が戦場になってしまいます。
反戦、平和のために「戦わない」はずだったのに、戦争が起きてしまいます。

元・日本人が「俺たちは戦わないんだ!」とどんな大声を上げたって、もうここは元・日本人の国ではありません。
元・日本人の意思なんて関係なく、X国の都合で戦争でもなんでもやれちゃう国になってしまってます。
他国を侵略することをOKとするようなX国が、日本を占領することでさらに大きくなったという結果になってしまいます。

「X国が日本を侵略しても、戦わずに占領を受け入れる」とは、こういうことです。
占領を受け入れるとは、X国のすべてを受け入れるということです。
他国を侵略することをOKとする法制により運用され、侵略のための武力攻撃を実行したばかりのX国軍が、私たちの国の軍となるんです。
私たち元・日本人は、こんなX国軍によって“守られる”ことになるんです。

だったら、最初から自衛隊が日本を日本のまま守ってた方が良くないですか?
万が一武力攻撃を受けたら武力行使をする選択肢を捨てず、しかしそんな大変なことにならないよう、まず武力攻撃を受けないように日本を守ってた方が良くないですか?

それとも、他国を侵略することがOKなX国の法制で運用されてるX国軍に“守られる”方がいいですか?
日本の法制で運用されてる自衛隊よりも、侵略戦争いけいけどんどんなX国の法制で運用されてるX国軍の方がいいですか?
新たな戦争が起こる可能性を高めてまで、「戦わない」を貫きますか?

反戦、平和のためだったはずの、「なにがあっても戦わない」という覚悟。
でも、悲しいことに、その「戦わない覚悟」が、新たな戦争を起こしてしまう原因にもなるんです。

確かに、「戦わない」ことは「戦う」ことよりもカッコ良いのかもしれません。
でも私は、一見カッコ悪く見えてしまう「戦う」という選択肢を捨てずにいたいです。
戦争が起こらないように。
平和であり続けるために。

「自国を自国の手で守る」ってのは、自国の平和のためだけでなく、世界に新たな戦争を起こさないためにも必要なんです。
世界平和のためにも、自国は自国の手でちゃんと守らなきゃいけないんです。

若いみなさんは、「一見」なカッコ良さだけを追求するのではなく、「一見カッコ悪く見えてしまっても、大切なのは何なのか」をぜひ深く考えてください。
これ、「国を守る」だけじゃなく、「家族を守る」「友人を守る」にもつながりますからね。

あと、たまに「娘が乱暴されそうになっても殺されそうになっても非暴力を貫く」というご意見の方もいらっしゃいますが、個人としてのお考えはそれもいいと思います。
でも、国家には国民を守る責任がありますからね。

あと、「戦わない」派の方々は「憲法9条を守ろう」派の方々と同系のイメージがあるんですが、日本国憲法を守るにはまず日本を守らないと始まりませんからね。
日本が消えてなくなったら日本国憲法も消えてなくなりますから……ってこれはさっき書いたか。
「日本死ね」って日本が死んだら保育園も死んじゃうのと同じです。

あと、「戦わない」派の方々は「在日米軍撤退して欲しい」派の方々と同系のイメージもあるんですが、
「戦わずに占領を受け入れると、占領軍が現在の在日米軍以上に私たちの周りにわんさか存在することになる」
のはなぜOKなのか……ここんとこ、まだご意見を聞いたことがないので、ご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。

今回は、X国を例にひとつの「もしも」を考えました。
みなさんも、ぜひいろんな例を想定して、あれこれ考えてみてください!


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■自衛隊同期の桜

1月21日に発売された、MAMOR3月号。
大大大大大大大大好評連載中の「岡田の軽キュラム」、今回のテーマは
「武力行使と武器使用の違い」
です。

これ、分かってるようで実は奥が深く、勘違いを起こしやすいです。
「安保法案反対~!」の方々界隈では、当時「集団的自衛権の行使が容認されたら海外派遣で戦争できるようになる」とか意味の分からない危惧をよく聞きましたが、これも「武力行使と武器使用の違い」をちゃんと理解してないからなのかなーと思います。

ココんとこはこれからも安全保障関連で話題になるでしょうから、ぜひ今一度おさらいしてみてください。
ちゃんと「女子高生にも分かる」ように書いてますから、肩ひじ張らずに読めますよ~。

さて、今回は連載ともうひとつ記事を担当しています。
特集の「見事に咲きましょ、自衛隊同期の桜」です。

自衛隊はやたらと「同期の絆」が強い……ってのは、ご関係者でも反対意見はあまりないかと思います。
それはなぜなのか……の究極は、おそらく「命を預け合うから」というとこに行きつくのではないかと考えています。

取材では、2009年に密着取材させて頂いた、「第174期幹部・175期陸曹空挺レンジャー課程」のみなさんに再結集してもらい、「同期とは」のお話をお伺いしました。
自衛官のみなさんなら「あるある」と共感されるでしょうし、また自衛隊ご関係者でなくても「人間関係の構築」という面でとってもおもしろい記事になりました(自画自賛)。

当時の空挺レンジャー連載は、今でも反響を頂きます。
もう7年も前の連載なのに、「あの空挺レンジャー書いてた岡田さんですよね?」と声を掛けて頂いたりして……それだけ濃い取材でした。
まあ、取材が濃いというより、課程が濃すぎたんでしょうけど。

当時の連載を読まれていた方は、「ああ、あのときのあの人!」とより楽しんで読んで頂けるかと思います。

ちなみに、先々週から1週間ほど、東京・大阪の主要駅にMAMORのポスターが貼りだされていたんですが、発見された方はいらっしゃいましたでしょうか?
私も新宿駅で発見し「おお!!」と嬉しくなりました。

このポスターには、陸自、海自、空自の3バージョンがあったんですが、陸自バージョンのモデルも取材させて頂いた空挺レンジャーの彼らです。

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いやーこれマジでかっこいいわ。

駅ポスターはおそらくもう掲出期間が終わってると思うのですが、この写真はMAMOR3月号にも載っています。
ぜひご覧ください!


■【質問】大学中退後の進路

久っっっっっっしぶりの質問回答でございます。
今回は、大学生の方よりご質問を頂きました。

【質問】
はじめまして、「おひとりさま自衛隊」がきっかけで予備自衛官補制度を知り、第2段階の最後(Iタイプ)までたどり着きました。
さて、話は大きく変わりますが学業のほう成績不振が祟りまして本年度を以て退学することとなってしまいました。
実際は興味が持てず内容についていけなくなり授業に出なくなった...と情けないことが理由なのですが。
その後の進路を考えるにあたり意識された点など、失礼かもしれませんが伺えればと思いました。


【回答】
いや~、私とそっくりな退学理由ですね~。
きっと、今後の人生はバラ色です。

私の場合、
高校2年までは大学に行く気なし
→しかし周囲は「行けるなら絶対に行け」と声をそろえる
→「大学ってそんなにいいものなのかなぁ。みんなが行きたがるんだからいいとこなのかもしれないなぁ。行けば分かるのかなぁ」と、とりあえず受験することに
→どうせなら都会の大学に行こう、と高3の一年間は付け焼刃の受験勉強をがんばる
→なんとか入学
→「やっべ、大学の授業がちんぷんかんぷんすぎる。付け焼刃の受験勉強じゃそりゃそうだよな」で、単位がまったく取れず
→ついていける授業は体育実技のみという状態になり、とりあえず体育実技だけはちゃんと出席する
→このままじゃ8年かかっても卒業できなさそうな成績表を突き付けられる
→ずるずる大学生やっててもしょうがないので、中退を決意
→娘が「大学辞める」と言い出して父親が泣く
→生まれて初めて見る父親の涙に「中退ってそんな犯罪レベルのことなのか」と慄きつつも、「元気でおったらそれでいいたい」というおばあちゃんの言葉に救われ、大学は辞めてもお天道様に恥ずかしくないように生きようと決意
→3回生の前期終了時に退学
という流れでした。

「目的もないのに大学行ったらこうなる」の見事な標本ですね。
高校生のみなさま、そして親御さん方、ぜひご参考にしてください。

大学を辞めてからは東京に引っ越し、放送作家を目指しました。
子供の頃から芸人やテレビに関わる仕事がしたくて、大学時代には「喜劇研究会」という落研のようなサークルで漫才やってたんですが(余談ですが、メイプル超合金のカズレーザーくんはサークルの後輩です。当時は「カズレーザー」じゃなく「レッド」って呼んでましたが。彼の活躍を我が事のように勝手に喜んでいます)、大学時代に出演したお笑いイベントで知り合った放送作家さんに相談して、お勉強させてもらっていました。

しかし、「放送作家」にもやがて行き詰まり……。
先輩作家さんたち、大天才ばかりで。
「私にできるのだろうか」と悩んでいると、ライターと兼業している先輩作家さんが「ライターもやってみない?」と声を掛けてくださり、最初は先輩作家さんのアシスタント的なお仕事から、そして徐々に個人でも雑誌や書籍でライターのお仕事を頂けるようになりました。
「文章を書く仕事がしたい」なんて生まれてこの方一度も思ったことはありませんでしたが、実際にやってみると、「あ、これ私に合ってる。私、文章書くの好きだわ」と気付き、地味に続けて今に至ります。

こんな流れに身を任せきって生きてきた私ですが、アドバイスするなら「やりたいことあるならやっちゃえばいいじゃん!」でしょうか。
その道で食っていけるのか、将来性はあるのか……など考え始めたらキリはありませんが、「やりたいことがある」ってそれだけですっごく大ラッキーなことだと思うんですよ。
「やりたいこと」ってなかなか見つかりにくいですから。
「これがやりたい」「これになりたい」ってのが実現すればそれは幸せなことですし、「これ」が実現できなくてもその過程で、ちょっと隣にある新たなものが見つかるかもしれません。
私の場合、「ライター」は「放送作家」のちょっと隣にある新たなものでした。

叶う、叶わない、上手くいく、いかないはどれだけ考えたって分かりっこないですし、私のように「大学辞めて東京行ったのに放送作家になれず」で終わる可能性もとっても大きいですが、そこで得られるものは必ず将来の役に立つと思います。
「役に立つ」というか、「役に立てようと思えばいくらでも立てられる」というか。
大学も中途半端で辞めてしまいましたが、当時の友人・人間関係は今も大きな財産です。
(お勉強はひとつも財産になってませんが。残念ながら)

そして、「やりたいことがない」場合。
だったら「やれることをなんかやってみる」といいんじゃないかなーと思います。

実は、20代のときに一度ライターから離れた時期があり(不安定なフリーじゃなくて、毎月決まったお給料欲しいなぁと欲が出ちゃいまして)、「なんかやれることないかなぁ」とWebデザインのお仕事に手を出したことがありました。
まあ、Webデザインやってるうちにコンテンツの文章も書くようになり、「ああやっぱライターのが向いてるな。私が世間様になにが提供できるかっつったらやっぱ文章なんだな」と思い至り、結局フリーのライターに戻ったんですけど。
このときも、「やれることをなんかやってみる」でWebデザインに行ったら、「ちょっと隣にある」ライターを再発見……ってことなのかもしれません。
中退当時の「放送作家になりたい」はどこへやら……です。
まあ、「できない」ってのもやってみないと分かりませんからね。

でも、Webデザインやってたときに得たものも、今につながっています。
一番はやっぱり「人」ですね。
Webデザインやってなきゃ出会えなかった方がたくさんいます。
あと、「やっぱライターだな」って再確認できたのも、一度道を逸れたからこそだと、振り返ってしみじみ思います。

さーて、この先はなにやるのかなー。
今はライター続ける気まんまんですが、先のことはサッパリ分かりません。
でも、どこでなにやることになっても、毎日楽しいんだろうなーとは確信しています。

そんな気負わなくてもいいですよ。
もちろん、真剣に考えることも大事ですが、人生、どこになにが転がってるか分かりませんから。
良いことも悪いことも。

真剣に考えすぎてじっと立ち止まってしまうくらいなら、「なんかやってみる」で「とりあえず」でも動いた方が、いろんな世界が開けてくるんじゃないかなーと思います。

もし、「なにやっていいのかサッパリ分からない」のなら……レッツ、自衛隊志願!!!
まあ、これは岡田さんに質問した代償のお約束ってことで……失礼しました。

でも、もし私が大学辞めるタイミングで「自衛官」という選択肢を知ってたら……受けたかったなぁ、とは今でも思います。
当時の私にとって「自衛隊」の存在は遠すぎてカケラも見えず、まずそんな選択肢があることすら気づけませんでしたから。
なんであのとき、地本の募集担当の方に出会えなかったんだろう。
うん、悪いのは私じゃなくて京都地本だ!きっとそうだ!
……まあ、受けても合格したか採用されたかは怪しいですけどね。

んーでもやっぱあのときは「放送作家やりたい」を選んだかなぁ。
「自衛隊で一任期やってから別の道へ」って手もあるしなぁ。
実際、任期満了で退職していろんなお仕事やってる元自衛官さんが周りにたくさんいるからなぁ。
……ってね、「過去にやれなかったこと」は後からいつまでもぐじぐじ考えちゃうもんです。
「興味があること」があれば、なんでもやっちゃいましょう!

「大学を辞める」となった今、おそらく周囲からは、やいのやいの言われてるんじゃないかと思います。
まあ、「中退」ですからね。
しょうがないっちゃあしょうがないんでしょうけど。

連日やいのやいの言われ過ぎると、「自分はダメ人間なのかも」とかいらんこと考えるようになっちゃいますが(人間てそんなもんです)、でも「やってたこと辞めて別のことやる」ってただそれだけですからね。
「うどん食べようとうどん屋さんに入ったけど辞めて蕎麦食べる」くらいのことですから。
たったそれくらいのことで「一度決めた道を云々」とか「そんなことで辞めるんならどうせなにやっても続かない」とか「お前なんかまともな人生送れるわけない」とかやいのやいの言うのってただただ「余計なお世話」ですから。
こっちから相談した人なら何を言われてもありがたく受け止められますが、頼んでもないのにいらんこと言う人なんて、どうせ言いっぱなしでその後のあなたの人生になんの責任も持たなきゃクソほどの役にも立ちませんから。

聞いてもねーのにいらんこと言ってくる人って、ただ八つ当たりしてるだけですからね。
きっと、その人もいろんなことで大変な思いをされてて、なにかを辞めたいのに辞められなかったりしてて、あなたのことが「楽しようとしてる」とかそんな感じに映ってしまって、八つ当たりしてるだけです。
「一見正しそうなこと」を言っとけば、八つ当たりってバレないからそれっぽい言葉をぶつけてるだけです。
たぶん、ご本人も「八つ当たり」だと気づいてないんでしょうけど。
いらんこと言う人がいたら、「ああ、この人も大変なんだな」とちょいと同情してあげときましょう。

ご両親が学費を出してくださっていたのなら、そのことは誠心誠意謝って、ご迷惑とご心配をお掛けしてしまうことにはちゃんと頭を下げて、それさえクリアできてればもう十分です。
「大学を辞める」は、きっといろいろと胸を痛めて、長い間苦しい思いをして出した結論だと思います。
もう、そんなしんどい思いからはパーっと解き放たれてくださいね。
これからは、毎日楽しく生きる、それだけです。
悩み苦しんだ分、すっげー楽しい日々が待ってますよ!


■謹賀新年2017

あけましておめでとうございます。
みなさん、良い新年を迎えられましたでしょうか。

私は「ちきしょーももクロのカウントダウンライブ行きたかったなー」とボヤきつつも美味しいお酒で無事に年を越せました。
ありがとうございます。

日本や世界の各地で年越し任務に就いていた自衛官のみなさま、ありがとうございます。

ひと気のない野っ原の弾薬庫警備で寒さに震えながらひとりぼっちの年越しをした隊員さん、ありがとうございます。
風邪ひいてませんか?

寒々とした真っ暗な海を空から監視しながら新年を迎えた隊員さん、ありがとうございます。
初日の出を見る余裕は……さすがになかったでしょうか。

熱気に満ちた砂漠で暑苦しい防弾チョッキを着て日本から数時間遅れた年越しをした隊員さん、ありがとうございます。
日本に帰ったらご家族とゆっくり過ごされてください。

自衛官だけじゃなく、お正月だろうがなんだろうがいつもこの街を人知れず守ってくれている警察や消防、海保、その他のたくさんのお仕事のみなさま、ありがとうございます。
おかげさまで2017年、無事にスタートしました。

今年も、私は予備自衛官として万が一に備えて待機をします。
この待機がムダになることを祈りながら万が一に備えた覚悟を持ち、そしてどれだけがんばってもムダになることを祈りながら訓練に出頭します。

新年、まじめに一筆。

ですがやっぱ今年もカープ優勝!!!んで日本一行くぞオラァァァァァァ!!!


■平和安全法制(安保法制)が施行されたから自衛官のリスクが増える?!

久っっっっっっっしぶりに平和安全法制ネタです。
ご無沙汰しております。

なんでしばらく平和安全法制ネタをやらなかったかというと、カープが忙しかったから……というのもなくはないんですが(というより大いにありますが)、単純に「飽きてたから」です。

えー、すみません。
あ、あと、予備自衛官の招集訓練にも出頭してて、そっちの絡みでも忙しくて……すみません。

まあ、正直……飽き飽きしますよね。
テレビや新聞を見てると、以前は「集団的自衛権ガー!!憲法違反ガー!!」だったのが、そこで支持を得られないのが分かると、今度は「駆け付け警護ガー!!自衛官のリスクガー!!」で。
こんな言い方をするのもアレなんですが、正直「やれやれ……」という気分です。

集団的自衛権を扱う「事態対処法」も別に消えてなくなったワケではないんですけどね。
でも、「もう集団的自衛権はどうでもいいのかな?」というくらいにサッパリ話題に上らなくなり。
かと思ったら「駆け付け警護ガー!!自衛官のリスクガー!!」で……やれやれ。

「自衛官のリスクが増える」。
これ、平和安全法制がらみでいろいろと言われるようになりましたが、正直「なにを今さら」という気持ちでいます。
じゃあ、これまでは自衛官のリスクが低かったとでも?!……と。

特に、これまで「自衛官のリスク」に見向きもせず、どころか自衛官の存在や人格をけちょんけちょんに言ってた人物や媒体、組織が「自衛官のリスクが増える!自衛官が心配!」なんて言ってるのを見ると……もう……ね……。
皆まで申しませんが。

平和安全法制がまだ「安保法案」と呼ばれていたころ、国会では野党議員が安倍首相に
「これで自衛官のリスクが増えますよね?!どうなんですか?!」
と詰め寄る場面が何度かあったように記憶しています。

しかし、安倍首相は「自衛官のリスクが増える」とは決して言われませんでした。
それを「はぐらかしている」と指摘する野党議員の声や報道もありましたが、私は別の思いでいました。

安倍首相が「自衛官のリスクが増えますよね?!」と詰め寄られていたとき、私は
「安倍さん、『自衛官のリスクが増える』なんて絶対に言わないで!!」
という気持ちで国会中継を見ていました。

もしここで、一国の首相であり、自衛隊の最高指揮官である安倍首相が「自衛官のリスクが増える」なんて発言されたら、もう既に高い状態にある「リスク」を否定されるような気がしたからです。
これまでその「リスク」を受け入れながら任務を遂行し、訓練を続け、その過程で亡くなられた自衛官の存在や彼ら、彼女らの思いを否定されるような気がしたからです。

これまで、いろんな任務でたくさんの自衛官が殉職されました。
任務に備えた訓練でも殉職された方はたくさんいらっしゃいます。
一命を取り留めたものの、大きな怪我を負われた方もいらっしゃいます。

でも、自衛官はみなさんそれを「受け入れた」上で任務や訓練を続けていらっしゃいます。
ご自身だけじゃなく、ご家族のみなさまも……本当に、感謝の気持ちでいっぱいです。

そして、これはなにも自衛官だけではありません。
警察、消防、海保……みなさん、さまざまな現場でそれぞれのリスクを負っていらっしゃいます。
公的なお仕事だけでなく、民間企業に勤めておられる方でも、命に関わるリスクと日々向き合いながらお仕事をされてる方は少なくありません。

「リスクガー」と報道している機関の方々も、ご関係者が紛争地域などの危険な現場に取材に行かれていることと思います。
現場の「リスク」は、私なんかより重々ご承知の上で、報道の使命を果たされているのではないでしょうか。

リスクは、事実として存在します。
じゃあ、「リスクがあるからってやらなくていい」んでしょうか。

住宅で火災が置きると、消防隊員の方は救助に向かいます。
訓練を積んでいるとはいえ、そこには必ずリスクがあります。
でも、彼らは救助に向かいます。
助けるべき人がそこにいるからです。

人質を取り、銃を手に立てこもった現場……そこには警察官が向かいます。
訓練を積んだスペシャリストが向かいます。
とはいえ、撃たれるリスクは大いにあります。
でも、彼らは現場に向かいます。
助けるべき人がそこにいるからです。

PKOの現場で、NGOや国連の職員が危険な場面に遭遇したら……。
自衛官は、彼らの命を見捨ててもいいんでしょうか。
同じ日本人が助けを求めているのに、「自衛隊が武器を使用して守るのは自衛官だけ」でいいんでしょうか。

もし、日本国民の総意として「自衛隊がPKOの現場で武器を使うのはよろしくない。NGOや国連の職員の命なんてどうでもいいから、駆け付け警護なんてするな」と言うのであれば、そういう法律にすればいいと思います。
日本国民がそれを望んでいるのであれば。

そして、勘違いをされている方が相当数いらっしゃるようなのですが、平和安全法制が施行されていわゆる「駆け付け警護」の任務が付与される以前から、PKOの現場では「NGOや国連の職員を守るために自衛官が武器を使用することはOK」でした。

では「駆け付け警護」の任務が付与されて、何が変わったかというと、
以前→助けられるのは、危険なことが起きたときに自衛隊の管理下にいた人たちだけだった
今→自衛隊の管理下ではない人たちのところに駆け付けてでも、助けられるようになった
というだけです。
危険なことが起きたとき、NGOや国連の職員が「自衛隊と同じグループとして活動してるか、そうじゃないか」の違いだけなんです。

「駆け付け警護」ができる以前から、武器の使用はOKでした。
もちろん、リスクだって大いにありました。

「自衛官のリスク」と「NGOや国連の職員の身の安全」。
助けを求める人が「自衛隊の管理下にいる」のか「管理下にいない」のか。
みなさんは、どう天秤にかけますか?
そもそも、天秤にかけることなのでしょうか?

以前、あるテレビ番組のインタビューで「新任務付与で自衛官のリスクは増えるか」という質問に対し、
「バッターボックスに入る回数が増えれば、当然デットボールを受ける回数も増えるだろう」
と回答された方がいらっしゃいました。
この方は知人で、「おお、なるほど、分かりやすい!」とそのウマさに思わず「見ましたよ~」とご連絡してしまいました。

でも、打順が回ってくれば、バッターボックスに入らなきゃいけません。
スタメンでも代打でもないのにバッターボックスに入ろうとしたら「お引き取りください」ですが、自分の打順が回って来たのであれば、デットボールのリスクがあってもバッターボックスに入らなきゃいけません。
デッドボールが怖けりゃ、バッターボックスに入るどころか、そもそも野球なんか辞めればいいんです。

問題は「バッターボックスに入る必要があるかどうか」なんです。
「自衛隊が、NGOや国連の職員の身の安全を確保する必要があるかどうか」なんです。
必要がないなら、バッターボックスに入らず、ベンチに座っておきましょう。
必要があるのなら、バッターボックスに入る覚悟を持ちましょう。

覚悟を持たなきゃいけないのは、自衛隊や防衛省、日本政府だけではありません。
国民全員です。
国民の代表として、自衛隊はバッターボックスに入るので。
そして、覚悟を持ったのなら、やみくもにデットボールの怖さを煽り立てるのではなく、どうすればデッドボールを回避できるのか……そこを議論しましょう。

最近の報道では、この「議論」について、とっても疑問に感じることがあります。

「法制が施行されて新任務付与」ということで、自衛隊は新任務のための訓練を始めました。
すると、さも「自衛官のリスクを上げる訓練が始まったぞー!法制が施行されたから自衛官のリスクが上がってるぞー!」的に報道がなされているのを目にします。

でも、訓練は「リスクを下げるためのもの」なんです。
そして、法制も「リスクを下げるためのもの」なんです。

みなさんが目にしやすい「自衛隊の姿」といえば、災害派遣かと思います。
突然の大災害が発生しても、自衛隊はすぐに出動し、救助や支援などの「やるべきこと」を「安全に」遂行する……これは、訓練を繰り返しているから可能なことです。
そして、「やるべきこと」が法制ではっきりと決まっているからです。

「やるべきこと」が法制ではっきりと決まっているから、それに則った訓練を行うことができ、そして万が一の発災でも「やるべきこと」を「安全に」遂行することができるんです。

法制がないままだと「やるべきこと」がはっきりしませんし、そのための訓練もできません。
訓練しようにも、「なにをするのか」「どうするのか」が分からなければ訓練のしようがありません。
法制により、「やるべきこと」がはっきりしているから、「どんな危険があるのか」も想定できますし、そのために「どう安全を確保するのか」という訓練ができるんです。

今回の平和安全法制の施行では、「やるべきこと」がはっきりとしました。
法制が施行され、任務が確定したことで「やるべきこと」が明確になり、それをどう実行し、その際に「どう安全を確保するのか」という訓練ができるようになりました。
「自衛官のリスクを下げる」訓練ができるようになりました。

どんな任務にも、リスクは付き物です。
そしてそのリスクを下げるには、訓練を続けるしかありません。
法制で「やるべきこと」を明確にし、どんなリスクがあるのかをしっかりと認識した上で、訓練を続けなければならないんです。

守るべき人は誰なのか。
守るべき人をどう守るのか。
そのための法制はどうあるべきなのか。

私は、一日本国民として、日本人の安全をより確保できるようになった今回の法制を歓迎します。
そして、「自らのリスクを受け入れた上で現場に向かう」当事者の自衛官や、そのご家族を友人に多く持つ身としても、法制で任務が明確化され、「安全の確保」を含めた本格的な訓練が始まったことを歓迎します。

もちろん、まだまだ改善すべきところはたくさんあると思いますが。
日本や自衛官のことを本気で考えている人は、現状に満足していないでしょうし、私も同じです。
「今の法制で未来永劫パーフェクト」とは思っていません。

「思想や意図的ななにか」をゴリ押すためにガーガー叫ぶのではなく、本質を見据えた建設的な議論が活発に交わされることを、心から強く強く望んでいます。


プロフィール

okadamari

Author:okadamari

>>質問大募集!!







岡田真理・著
(文藝春秋社)


よくわかる自衛隊 (楽しい調べ学習シリーズ)



志方俊之・監修
岡田真理・文
(PHP研究所)



―岡田真理―
フリーライター。昭和52年生まれ、福岡県香春町出身。同志社大学工学部中退。平成17年、陸上自衛隊予備自衛官補(一般)に志願。50日間の教育訓練を経て、平成19年、予備自衛官に任官。現在も任用継続中。全国の陸海空自衛隊各部隊を取材し、「女子高生にも分かる国防」をモットーに執筆活動を行う。

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